9/3 研修3日目
朝。昨日乗り方を知ったバスに乗ってみた。
どうやら新型車両らしく、乗った瞬間運転手さんにお金を払うシステムだった。
降りる時さえ頑張れれば、もうバスも乗れるなと実感。
館長のヴァンさんのお話の中で、ご自身の戦争体験が一番印象に残った。僕は沖縄に高校の修学旅行で行った時、同じように博物館に行き、実際に戦争を体験された方のお話を聞いた。
どちらの話も、博物館の展示も、"戦争"という僕とは離れたものの存在や、体験したことがリアルに伝わってくる。事実なのだと感じさせられる。
特に戦争証跡博物館では、枯葉剤の被害についてのブースに力を入れているらしい。一周見てみたが、包み隠さずに、ありのままの症状や現実を伝えていた。
自分が写真を見て、どう思ったらいいかわからなかった。ただ、これが現実で、枯葉剤の影響で、それで苦しんでいる人が昔も今もいることを、ありのまま受け入れるしかなかったし、それでいいと思った。
ー事実を知ること・受け入れることーそこから自分が何かできないか、考えられたら一番良いのではないかと思った。
たくさんの子どもが預けられ、育てられ、暮らしているお寺へ。
障害を持った人、そうでない人が、一緒に暮らしていた。少し驚いたのが、僕的には、障害を持った人たちが集められている場所、障害を持っていない人たちが集まっている場所と分かれているのだろうと思っていた。だが、実際は重度の障害者の部屋の隣は、障害を持っていない女の子の部屋であったりして、"共同"生活をしていた。それに意味があるのかないのかは想像するしかないが。
この目で見た、枯葉剤により脳に障害が残り、頭だけがとても大きくなってしまった子どもたちが、一番心にぐっときた。
「現実なのだ。未だに苦しんでいる人がいるのだ。」ということを、ただただ受け入れるしかなかったし、受け入れたい、目を背けず向き合いたいと思った。
お寺にいた時だけでなく、これからも、日本に帰ってからも、自分の目で見た事実に、現実に、そこから考えたことに、逃げずに向き合っていきたい。
夜は、吉川先生との座談会。
内容は、すごくシビアなことが多かった。
自分は、ベトナム・ホーチミンに来て、華やかな部分しか見ていなかったのだと気付かされた。自分の見ている風景が、そのままこの国ではない。もちろん裏で、たくさんの問題を抱えている。ただ、僕は話を聞いたり調べたりするしか裏でのことはわからないし、自分の目に見える風景、聞こえる音、香る匂いにもちろん嘘はない。街歩きで感じられることは、そのまま大切にしようと思えた。
吉川さんの話の中で、自分のテーマと重なる部分がいくつかあった。
「日本に行きたい」というハンパない熱意、英語が非常に重要で当たり前の言葉であること、大学に進学する理由が"親を楽にするため"と答える学生が多いこと…
これらは、異文化との交流や、他の言語を学ぶ意図・姿勢と関わってくると思う。自分と同じ世代・同い年の人たちが、どのように考え、学び、異文化理解や他の言語を学んでいるのか。
実際に、大学生に聞けたら良いなと思った。
感じる。見つける。
意外と難しい。